「ああ、いい夜だ」
エヴァンジェリンはポツリと呟く。彼女が覗き込む窓には美しい満月が映り、淡い月光を放ち続ける。
その光を浴びる彼女は満足げに笑い、片手に持つワイングラスを傾け、真紅のワインで喉を潤す。
――遥か昔から、月光には魔術的な要素が含まれるとされている。
只の人間にとってそれは身を照らす光でしかないが、彼女のような魔法使いにとっては重要な意味を持つ。
月の光にも魔力は宿り、それは空気中を満たすものに比べ遥かに高純度だ。
しかも、彼女は登校地獄の呪いを受けている身。
魔力を封じられ、しかも学校の敷地内から出ることすら叶わない。
だが、満月が近づくほどにそれがある程度回復してゆく。気分が良くなるのも当然だろう。
今の彼女の身体には並みの魔法使いを軽く凌ぐ量の魔力が宿っている。
「そうは思わんか? 茶々丸」
「そうですね、マスター。……というか仕事してください」
その問いかけに応えるのは、抑揚の無い無機質な声――のはずなのだが、酷く呆れているようなニュアンスを含んでいる。
お盆に三本目のワインを乗せ、彼女――茶々丸も月を見上げる。
そして自らの主人に目をやり、床に転がる空き瓶にも目を通す。ざっと五本は超えている。飲み過ぎであるのは明白だ。
「……マスター、飲み過ぎはお体に触ります。ですので仕事してください」
「そう言うな。今日は気分がいいんだ」
そう言って、ワイングラスを空にする。
金細工のような髪と、文字通りの魔性の美。それらを更に強調するような白く澄み切った肌。
その様は、まるで完成された人形。
……まぁ、彼女が酒臭くなければの話だが。
「ぼーやも随分成長したようだしな。さすがヤツの息子だよ。ああまで覚えがいいとついついいじめたくなる」
「……好きな子をいじめてしまうのと同じ理由ですね。と言うわけで仕事してください」
楽しげに笑うエヴァンジェリンに、茶々丸の冷静なツッコミが入る。
数刻前、この学園中に張り巡らされている結界が侵入者を捕捉した。
この学園の警備を任されているエヴァンジェリンは当然の如くそれを知っているはずなのだが、なぜか動こうとはしない。
「今日は気分が乗らん。龍宮辺りに任せておけばいいだろう。金は学園長に払わせるさ」
「そうはいきません。この学園の警備は“義務”です、マスター」
少しだけ朱に染まった顔で拗ねるようにそっぽを向く。
話を聞かないばかりか手元に置いてある漫画の単行本を開き、パラパラとめくり始める。
「……個人的にはギアッチョが負けたのが不思議でたまらないんだが。あのスタンドは反則的に強かったぞ?」
「作者の都合です。主人公が負けたら話が進みません。ですから仕事してください」
駄々をこねる子供のように話を逸らすエヴァンジェリン。
茶々丸も痺れを切らしたのか突っ込みは徐々に激しくなってゆく。無理矢理にでも外へ連れ出そうと画策しているらしい。
「……分かりました。無理矢理にでも連行させていただきます」
かつかつと自らの主人に歩み寄り、がしっと首筋を掴む。
酔っ払いに理屈は通用しない。それが彼女のデータベースに記録された答えだった。
酒が入っている所為か反応が鈍い。一瞬の間の後、じたばたと手足を動かして反撃する。
そんなものは意に介さず、ドアを開けて部屋を出る茶々丸。
エヴァンジェリンを着替えさせつつ、自らも戦闘服に身を包む。
「ええい、着替えくらい自分で出来るわっ!」
「やっと行く気になってくれましたか」
悪態をつきながら服を着替え、渋々といった感じで外へ通じる扉を開く。
ギィィ、と軋んだ音が夜の静寂を静かに乱す。少し前に降っていた雨の所為か、少し気温が低い。
冷たい風が二人の頬を撫で、月光を反射して輝く髪が淡く踊る。
……何だかんだでエヴァンジェリンもやる気を出したらしく、先程のだるそうな表情は既に消えている。
パチン、とエヴァンジェリンが指を鳴らす。
響くような高い鳴き声と共に、闇から生まれたコウモリ達が集束してゆく。
重なり合うようにエヴァンジェリンの背中へ飛翔し、闇色のマントを形作る。
唸るような低重音と共に、茶々丸も脚部に内蔵されたブーストエンジンを起動させる。
「行くぞ、茶々丸」
「イエス、マスター」
闇の福音とその忠実なる従者が、空気を切り裂き闇夜を駆け抜ける。
■
麻帆良学園中等部の学生寮は、昼間の喧騒からは考えられないほどに静まっている。
そこから視線をずらせば、春には満開の桜で包まれる大きめの歩道――通称“桜通り”がある。
夜中でも街灯で明るく照らされているその通りに、二つの人影が蠢く。
身を隠すつもりすらないのか、それらは侵入者であるにも関わらず、むしろ堂々とした振る舞いを見せる。
一つは女性。
高めの身長に、白く輝く長髪。
それと対になるように、漆黒のライダースーツが彼女の身体を包んでいる。
鋭い切れ目が何かを探すように忙しなく動き、周囲には探知用の魔力網が蜘蛛の巣のように張り巡らされているのが分かる。
もう一つも女性のものだ。
先の女性と同じく、身体を漆黒で包み、黒髪をなびかせる。
棒状の包みを背負い、右手の薬指に嵌められたシンプルな指輪が街頭の光を反射する。
どちらも強力な魔法具であるらしい。
二人の進む先は、麻帆良学園中等部学生寮。
そこに、彼女らの目的がいる。
「ここに間違いないようです、沙希」
白髪の美女――霧子はポツリと呟く。
彼女の主――沙希は「そうか」と簡潔に答え、寮の方へ視線をやる。
「ここに――、我らの目的が」
ギリ、と形の良い唇を歪める。
そこにあるのは命令の遂行という義務感ではなく、自らの同朋を傷つけた相手への憎悪。
「調査だけに止めろと言われたが――そうはいくか。必ず、殺してやる。
待っていろ、ネギ・スプリングフィールド――――!」
憎悪を胸に、怒りを右手に、悲しみを左手に。
沙希とその従者は、復讐の一歩を踏み出そうと――――
「止まれ」
声。
絶対零度の冷気をそのまま言語に変換したかのような。
聞いてしまうだけで身体を破壊されてしまうような。
どうしようもなく無慈悲な声が、桜通りに響き渡る。
二つの漆黒は戦慄に足を止める。
「――――ッ!」
「このまま何もせず撤退するなら見逃してやってもいい――――と言うつもりだったんだがな。私の考えが甘すぎた」
戦慄の発生源に目をやれば――――空中には、二人の修羅が。
真祖の吸血鬼は鋭い爪をぎらつかせ、その従者は鉄塊と表現するしかない程の巨大な銃を右手に装備している。
この圧倒的な恐怖。魔力を封じられようが何をされようが、そんなものは関係ない。
ただ、そこにいるだけで死を感じてしまうほどに。
これこそが、闇の福音の本質。
――――凍てつくような視線が沙希達を射抜く。
「ウチのぼーやを殺すだと? 貴様ら如き低級悪魔が、私の物に手を出す? ふざけるな。ヘルマンとやらは見逃してやったが――貴様らは許さん――――!
真祖の怒りに触れた罪――――貴様らの命程度では償えんぞ――――!」
その怒号と共に、茶々丸はその鉄塊の引き金を引いた――――!
――――鼓膜を破壊しかねない轟音と、視界を零にする程の煙幕。
着弾地点は大きく抉れ、桜通りのアスファルトが辺りに飛び散る。
「――ァァアアアッ!!」
――――咆哮と共に、巨大な竜巻が顕現する。
ひうんひうんと風が悲鳴を上げ、視界を遮る煙幕を吹き飛ばす。
程なくして止んだ竜巻の中心にいたのは、沙希と霧子。
「――――なんて、非常識」
そう呟いたのは、霧子。
あれほど巨大な銃――いや、最早あれは砲台だ――など見たことが無い。
いや、イカレているのはその後だ。真祖と彼女達の距離は、おおよそ十メートル。
そんな近距離で発射すれば、幾ら煙幕弾と言えども撃った本人にも影響が及ぶ。
沙希が咄嗟に発動した魔法障壁のタイミングが合わなければ、間違いなく大打撃だった。
「どこだ! 真祖の吸血鬼ッ!」
そう叫んだのは、沙希。
明らかに動揺した声を出し、視認できない敵を威嚇する。
先程から、エヴァンジェリン達の気配がまるでない。
霧子も臨戦体勢に入り、アーティファクトらしき手甲を装備する。
――――どこから来る? 背後? 頭上? 死角から?
そんな思考が二人の脳裏に走る。
――――ぞぶり、と。
沙希の足元から、白磁のような腕が伸びる。
「――なにッ!?」
影を利用した転移魔法――!
エヴァンジェリンの腕は、ギリ、と音がするほどの力で沙希の足首を掴む。
抵抗らしい抵抗も出来ず、沙希は只、圧倒的な力で自らの影に引きずり込まれてゆく。
「茶々丸。その従者はお前に任せる。痛めつけてもいいが絶対に殺すなよ?」
「イエス、マスター」
完全に沙希の姿が見えなくなったところで、茶々丸が静かにそう答える。
先程の鉄塊は既に無く、霧子の戦闘スタイルに合わせるように茶々丸も接近戦でケリをつけるつもりらしい。
「貴様ッ……!」
怒りを含んだ声と共に、霧子は歯軋りする。
目前の敵――茶々丸の体内に、相当な数の近代兵器が装備されているのは彼女の目にも明らかだ。
だが、彼女はその兵器を使おうとしない。
ナメられている。そう霧子が思うのも仕方が無い。
「貴女には実験台になって頂きます。新しい身体の性能を試したいと常々思っていたので」
抑揚の無い声が、霧子の怒りをさらに大きくする。
アーティファクトをギリ、と握りこむ。両の手に装着されたソレは激しい炎を噴き出し始める。
辺りの風景が歪み、轟、と熱風が茶々丸の頬を掠める。
「……貴女を分類A以上の敵と認識します」
相変わらずの無機質な声が、深夜の麻帆良に響き渡る。
「――戦闘プログラム発動。拘束制御術式 第三号 第二号 第一号 開放。
状況A“クロムウェル”発動による承認認識。停止条件。目前敵の完全沈黙。それまでの間、リミッターを限定解除。
――――吸血鬼の戦い方はご教授できませんが、お許しを」
楽しげに――声は変わらないが――そう言って、力強く地面を蹴る。
それは、ありえない速さ。
弾けるように茶々丸の姿が消え、足元のアスファルトに足跡大の穴が開く。
その速さの代償に、彼女の全身は悲鳴を上げるが、そんなものには構わず只前へと爆進する。
――――そして、懐に入り込む。
霧子の咄嗟の反応も、まるで追いつかない。
燃え盛る拳は空を切り、茶々丸の放つ神速の拳は霧子の脇腹を掠める。
ヒュウ、と掠れた音が霧子の口から漏れる。
だが、彼女もこの程度では終わらない。
「――――アァァッ!!」
霧子は茶々丸の頭部を掴み、渾身の膝を叩き込む。
顔面に蹴りを入れられた茶々丸はグラリとバランスを崩し、身体を仰け反らせ後ろに倒れこむ――――。
「――――私の勝ちだァ!」
火力を最大限に上げ、霧子は必殺の拳を茶々丸のボディに叩きこむ――――!
「……それは不許可です」
――――この状況下でさえ、彼女の声は変わらない。
バシュッ、という気体の漏れる音と共に、全身の人型を模した装甲が弾け飛ぶ。
そこから覗くのは、夥しい数の銃口。
大小関係なく、只凄然と並ぶそれらは、霧子の生存本能に何かを呼びかける。
即ち、ニゲロニゲロニゲロニゲロ――――と。
だが、遅い。
「――――Fire.」
それは、紛れも無い死の宣告。
黒光りする銃口から発射されるミサイルと銃弾の嵐――――!
二人だけの戦場を、膨大な硝煙が包んだ。
■
体内の弾幕をほぼ全て打ち尽くした茶々丸は、只堂々とアスファルトの上に立つ。
全身の装甲は剥がれ落ち、剥き出しになった機械部分は凄惨の一言に尽きる。
硝煙に包まれた彼女の身体。しかしその姿は美しく、力強さに満ち溢れている。
「――隠れても無駄です。我がセンサーはハカセ製ですから」
その言葉に、ガラリとコンクリの破片が動く。
「――ッ、」
そこから現れた霧子の身体は、四肢さえ千切れ飛んでいないものの、まさにボロボロだった。
全身に銃弾を浴び、身体を覆う皮膚はゴッソリ無くなっている。引き千切られたような筋肉と、剥き出しの骨。
常人なら、疑う余地も無く死んでいる。
――――だが。
血に塗れ、明らかに重傷を負った彼女は、しかしそれでも闘志を失っていない。
「――――絶対に、許さない。貴様だけは絶対に破壊してやる……ッ!」
地の底から響くような声。
憎しみと、怒りと、痛みとが混ざり合ったようなソレ。
その声を静かに聞き流しつつ、茶々丸も覚悟を決める。
先程の一斉掃射で、彼女の身体にも相当ガタが来ている。
新しいボディは、まだ充分に慣らされていない。試験的な作動環境はあっても、実際の戦闘の過酷さは再現しきれない。
これが最後の一撃か、と彼女は思う。それは標敵も同じ事だが、とも。
これ以上長引かせれば、標敵は現世から去ってしまう。悪魔にとって、現世での死は故郷への回帰と同義。
殺さずに、戦闘不能にする。
それが、彼女の主からの命令。それを遂行する事こそが彼女の存在意義。……最近はそれだけでないようだが。
「――アアアァァァァッ!」
咆哮。
霧子が、走り出す。傷口を塞いでいる魔力以外を、全てアーティファクトに回す。
今までの比ではない勢いの炎が霧子の全身を包み始める。
――――それを、茶々丸が迎え撃つ。
廻れ。もっと、もっと速く疾く疾く疾く。
想定範囲を遥かに超える回転数に、右手内部のモーターが悲鳴を上げる。構うものか。
どうせ作り物の身体だ。頭脳さえ破壊されなければ幾らでも替えが利く。いや、そもそも私自身のスペアなど、既に用意されているだろう。
だが、死ぬ訳にはいかない。
ここで死んだら、マスターの命令を守れなかったことになる。
それはダメだ。私の存在意義の全否定だ。
――――そして何より。
ネギ先生を守れない。
さあ、もっと速くもっと速くもっと疾く――。唸りをあげろ。
炎の悪魔。覚悟はいいか? 私は出来てる。
「――――――――!!」
茶々丸も、疾走する。
左手で自らを庇うようにし、霧子に肉薄する。
霧子の拳が――――疾風と化して空気を切り裂き、凶音を轟かせる。
血を吹き出し、骨が覗くその腕が――――茶々丸の左腕を粉砕する。
だが、茶々丸は揺るがない。
――――捕捉は完璧。茶々丸の人工知能はそう告げる。
標敵の一撃は、威力を失った。次の一撃までの間なら、こちらが有利。
そして。
今にも砕け散りそうな右手を引き絞った瞬間――右手のバーストが火を噴く。
右腕が弾ける。空気が裂ける。背景が歪む。
「――――Arrivederci.」
――――さよならだ。
その言葉と共に――――。
最後の一撃が、燃え盛る漆黒の悪魔を貫いた。
■
「――終わったか。では、此方も終わらせようじゃないか」
楽しそうに笑いながら、エヴァンジェリンはマントを翻す。
開放されたコウモリ達が一斉に辺りを飛び交う。
「にしても、こうも上手く行くとはな。只の思い付きだったんだが」
その言葉が沙希の怒りを再来させたのか、既に傷つき疲弊した身体を叩き起こす。
「貴様ッ……ナメるなッ!!」
沙希の唇が紡ぐのは、魔法の始動キー。
独特の韻を踏んだそれは、沙希の魔力を収束させてゆく。
そして――、響き渡る呪文詠唱。
「……素晴らしい」
エヴァンジェリンが感嘆の息を漏らす。
沙希の呪文詠唱は、まさにその一言に尽きた。
彼女が今まさに発動しようとするそれは、高等魔術の部類に入る。
当然の如く、詠唱の長さも複雑さも半端ではない。
だが、沙希はそれをものの数秒で突破した。
人に在らざる彼女の魔力量も考慮すれば、それはエヴァンジェリンにとっても十分な脅威に成りえる。
――沙希の魔力が形を成す。
黒く煤けたように輪郭が曖昧なそれは、巨大な矢の形で安定する。少なく見積もっても二十は軽く超えている。
そして――――
「喰らえッ!」
漆黒の矢がエヴァンジェリンを襲う。
両者の間を数瞬で詰め、真祖の吸血鬼を射殺さんと肉薄する――――!
「――惜しい。本当に惜しい」
――その状況下においても、エヴェンジェリンの余裕は揺るがない。
「詠唱も完璧、タイミングも文句無し。おまけにあの魔力量。成る程、これならこの私ですら大ダメージは必至だろう」
全てを言い終えぬ内に、漆黒の矢はエヴァンジェリンを――――
「だが効かん」
――――貫かない。
「一度説明してやっただろう。超低温は全てを止めるとな。この一帯は既にマイナス百℃を超えている」
その言葉と共に完全に凍りついた矢達がビシリと音を立てて砕け散る。
破片が宙を舞い、光を浴びてダイヤモンド・ダストのように煌いてゆく。
「超低温は『静止の世界』……――この思い付きが完璧なのはそこだ。
これならば暴走する機関車だろうと荒巻く海だろうといかに強力な魔法だろうと止められるッ!」
――――エヴァンジェリンの魔力が拡散してゆく。
辺り一帯を覆うそれは、静かに、しかし確実に死を運ぶ。
堂々と聳え立つ樹木は氷細工に姿を変え、生い茂る葉の一枚一枚は芸術品といっても過言ではない。
沙希の展開する魔法障壁にも影響が及ぶ。
視認出来ぬはずのそれは、徐々に姿を現してゆく。一枚の薄い膜のように沙希を包むそれは、最早障壁としての意味を成さない。
残ったのは、魔力が凍りついた結晶のみ。
「ありえない……ッ」
「ありえない、なんて事はありえない……と言ったのは強欲だったか? 目の前の現実を直視しな」
クク、と堪えるように笑う真祖。
沙希は握り締める杖からべリ、と掌を剥がす。つられて皮膚が剥がれるが、血が出ないどころか痛みすら感じない。
ありえない、と沙希は再び呟く。
冷たいと感じる暇さえなく――それこそ、痛みを感じない程のスピードで――冷やされてゆく。
空気中の水分すら凍り、沙希の全身も薄い氷に纏われる。魔法障壁の限界も近づく。
「……ならば、暖めればいい……」
轟、と沙希の全身を炎が包む。
魔法自体は大した物ではないが、沙希の強大な魔力によって大きく膨れ上がる。
融けて無くなれ――と叫んだ瞬間、矢を模した炎の軍勢がエヴァンジェリンを襲う。
「冷えているなら暖めればいい。確かに、こういう極限状態において重要なのは単純な発想だよ。
だがな――、我が冷気は炎すら凍らせる。
貴様は成す術も無く私に敗北するんだよ」
その言葉通り、炎の矢は急激に冷やされその威力を失う。
――だが、沙希は折れない。
即座に腰から黒光りする拳銃を取り出す。
炎の矢はフェイクに過ぎない。
沙希の白く細い腕には不釣合いなそれを右手に構え、真祖の吸血鬼の心臓に狙いを定める。
「これでも喰らえ、吸血鬼」
金属の悪魔から弾き出される銃弾は硝煙と共に唸りを上げて疾走する。
銃撃の反動をものともせず、ニヤリと唇を吊り上げ、続け様に銃弾を放つ。
弾頭に祝福儀礼を施した銀を使用したそれは、人に在らざる者を浄化する。幾ら真祖とは言え、エヴァンジェリンもその例外ではない。
そして、死の弾丸がエヴァンジェリンを捉える――――
――――がうぃん。
「――――え?」
弾丸が激しい音と共に視界から消える。
初撃だけでなく、後に続く五発も同様に。
「銃……しかも銀弾か。成る程、これなら凍ろうが威力は変わらんな。
――――だが既に説明したはずだ。『超低温は全てを止める』とな。それは攻撃を止めるという事ではない。
超低温の世界では動く物質は何もなくなるという事だ。動く『気体』は流れる『液体』となり、『液体』は全て止まって『固体』となるという事だッ」
ギィン、と金属を打ち付けたような清音が幾重にも響き渡る。
まるで、泣いているかの様に。静かに泣くかの様に。
「ちなみに『空気』はマイナス二百十℃で『固体』となって凍り始める。
見えないか? 止まった空気が見えないか? 良く見ろよ?」
泣きながら――銃弾が空気の壁を跳ね返り続ける。失速することもなく、その脅威を孕んだままで。
そして、一閃。
正確にコントロールされた銀の魔弾が沙希の左肩を貫く。
「――――――――ッッ!」
声にならない声が響く。
傷口は融けるように爛れ、ジュ、と焼けるような音を上げる。
祝福儀礼が悪魔の身体を蝕み、崩壊へと誘う。
「静かに泣く――――……なんてな。だが、まだ終わっていないぞ?
銃弾は残り五発……――ありがたく喰らいな」
「――――――――――――」
一発、また一発と銀弾が沙希を抉る。
左肩は最早原形を留めてはいない。声を出すことさえ許されないその苦痛に身を捩るが、その行動は余計に苦痛を大きくするだけ。
そしてまた、銀弾が。右手の肘から先を持っていく。
そして、最後の一撃が――――
――――静かな悲鳴が麻帆良の夜を凄惨に彩った。
■
「……随分とボロボロじゃないか。何かあったのか?」
つい先程呼び寄せた従者への最初の言葉はそれだった。
エヴァンジェリンの予想に反し――――茶々丸は相当な苦戦を強いられたようだった。
全身の装甲はほぼ全て剥がれ落ち、高温の炎で焼かれた部分はぐにゃりと変形している。
――――特に、左腕は見るも無残な状態だ。
肘から先が喰い千切られたかのように存在しない。内部からはコードらしき物が飛び出ており、時折火花が散っている。
「新しいボディの慣らしが甘かったようです。ですが、命令は確実に遂行いたしました」
そう言って、比較的破損の軽い――といっても十分にスクラップ同然だが――右手に持ったソレを掲げる。
真祖の忠実な従者は霧子の生首を持っていた。
捻じ切られた首からは真紅の血液が零れ落ち、傷口からは脊髄が顔を覗かせる。
「まだ完全には死んでいません。意識はあるはずです。
私達の会話を聞いて理解するくらいの機能は残っています」
想像以上の従者の働きに、エヴァンジェリンは満足そうな笑みを浮かべる。
よくやった、と労いの言葉を掛け、くるりと背後に身体を向ける。
そこには、今にも息絶えそうに横たわる沙希の姿が。
両の腕は粉々に砕かれ、下半身は完全な壊死状態だ。祝福儀礼が身体を腐らせるように蝕んでいる。
ヒュウ、と掠れるような呼吸音が響き、口から大量の血液が流れ落ちる。
「……チャチャゼロ、後はお前に任せたぞ。魂の拷問はお前の専門だろう?」
「これもお願いします」
「アイヨ、御二人サン」
蜃気楼の様に、人形が姿を現す。
意地の悪い笑い声を響かせながら、茶々丸の投げた生首をしっかりと掴む。
「――――、――」
ふと、声がする。発信源は沙希だ。
今にもこの場を去ろうとしていたエヴァンジェリンと茶々丸も足を止めた。
「死ヌ間際ノ恨ミ言――ッテカ? イイゼ、聞イテヤルヨ」
楽しげにチャチャゼロが言う。
それは、永遠に苦しみつづけることになる沙希達への慈悲なのかもしれない。
早クシネート聞イテヤラネーゾ、と急かすように沙希へ言葉を掛ける。
そして。
血塗られた唇が微かに震える。
「――この、化け物共が――――」
今度こそ。
沙希の掠れた声が三者の耳へ届く。
今にも消えてしまいそうな声が、しかしやけに明瞭に。
その言葉に、一瞬顔を見合わせる三人。
だが、すぐに向き直る。
チャチャゼロは呆れたように肩を竦め、
茶々丸は表情を変えぬまま首を傾げ、
真祖は皮肉げに唇を歪め、
そして三人は、声を揃えて笑顔で答えた。
「知ってるよ」
堰を切ったように笑い出すエヴェンジェリン。
――――その真祖の高笑いと共に、淡く燃えるように輝く哀れな魂たちがチャチャゼロの持つゲージに収まる。
心底楽しそうな笑顔で、緑髪の自律人形は呟いた。
「クク、ターップリ可愛ガッテヤルゼ? 永遠ノ牢獄デナ」
――――この魂たちは、もう解放されることは無いだろう。
真祖の命が続く限り――つまるところ、未来永劫に渡って――地獄を味わいつづけるのだ。
魂に感覚などは無い。
だが、沙希も霧子もどこか深い所で理解してしまったのだろう。
自分達は、永遠に開放されないと。
麻帆良の夜空に、魂の悲鳴が静かに響いた――――
≪Evangeline Gentry Weaps≫ is the END......?
「――――トコロデヨ、ナンデ御主人は仕事嫌ガッタンダ?」
「マスターの行動から推察するに、ネギ先生への心配から来る自棄酒と漫画の続きが読みたかったのが原因のようです」
「…………」
「…………」
「……子供ダナ、御主人」
「……子供ですね」
≪Evangeline Gentry Weaps≫ is the END!!